発明家 永谷研一 教育イノベーション 発明家 永谷研一 教育イノベーション

発明家  永谷 研一 Blog 今日の富士山

英語×プレゼン×自己紹介 新しい勉強法を実践中です。

2013年09月19日 日記

2013年9月19日(水)
スクリーンショット 2013-09-19 6.56.06
今日もきれいな富士山が見えています。富士山から流れてくる気持ちのいい風を感じます。
さて
昨日は一週間に一回の英語のレッスンがありました。スカイクルージングさんのプログラムを受講しています。
目標に「6ヶ月後のTEDに出るくらいのプレゼン力となる」と掲げていますのでその練習に入りました。
まずは自己紹介文を英語にしてもらい、それを読み上げていきます。TEDですから聴衆を引き込む表現も大事です。
要は
・自己紹介
・プレゼン力
・英語
という3つをいっぺんに身につけてしまおうというプログラムなのです。
そして一ヶ月に一回はUstreamでプレゼンしている姿を発信します。
これは周りからフィードバックを受けられるよう、自分の恥ずかしい英語レッスン風景をさらします。。笑

このTOEIC300点の男が半年後にどうなることやら。とても楽しみです。

さあ上げますね。
今日も元気に「いってらっしゃーい」

P.S.
以下は、今後の英語の授業で使うコンテンツ(自己紹介文)のつづき
=================
月日は流れ、2007年12月 41才のある日社員から声が掛かりました。
「社長、特許取れたようです。書類が弁理士から届きました」
「ああそう」
そっけなく、特許証を手に取りました。
「研修の後の行動定着を目的としたITシステムの特許だな。IT会社を作って8年。
毎年特許を出してればそろそろ取れるだろうよ(心の声)」
特許証に書かれた文字を見た私は「ハッ」としました。そこには

【Inventor 永谷研一】

と書かれていたのです。「あっ夢叶った。」と私はつぶやきました。とめどなく流れる涙。
その瞬間、走馬灯のように過去がフラッシュバックしていきます。

23歳で入った会社でPOSレジの品質保証の仕事をしていたとき、
機械の耐久試験の際、新しい試験の方法を編み出して難しい試験を簡単にできるようにしていました。

28歳でシステムエンジニアのとき工場の生産管理システムの構築を行っていたとき、
子会社にしか仕事を出しては行けないというルールに反し、海外の個人の技術者とメールでやりとりしながら
世界の最新技術でシステムを開発しました。(今ではオフショア開発といって当たり前ですが)

33歳でネットマンを作ってからは、ソフトウェア製品はすべて独自で企画・開発をし、教育に必要なITを
出荷してきました。
(例えば2001年に出荷した「ケータイなどのモバイル端末を使った学習支援システム」は世界初の商品でした。)

そういえば、大学時代もロックバンドを組み、オリジナルソングを作ってライブを楽しんでいました。

そうです。物理学者になれなかった、自分の想い通りのプランで生きてこなかったと考えてきた私は間違っていたのです。
むしろ、私は自分らしくまっすぐ生きてきたのです。私は、発明家になりたかったのではなく、
自分で考えた役に立つ新しいモノを作って人を驚かせるのが大好きなのです。
あの、「池の中覗き器」をつくったとき気持ちのまま、30年間生きてきたのです。

これが私が私を許せた瞬間でした。なんら失敗などしていなかったのです。
思った通りの人生を自分らしく送ってきていただけなのです。

【Inventor 永谷研一】

これは神様が私に気づかせてくれたスーパーなフィードバックだったのです。

やがて私は私は自分の使命に気づくことになります。
それは
「ITを活用した教育により、教育イノベーションを成し遂げる」
という使命です。

私が本当になりたかったもの。それは、私自身の人生が既に知っていたのです。
だっていつのまにか、なりたいようになっていたのですから。

(おしまい)
=========